木造に立て直すって?
すごいこと言ってますよ
名古屋市長。。
無理でしょう。。
四国にある
大洲城が、木造で4階建て
ここが、日本の城建築最高階と言われていたのに、、
名古屋城が何階建てかって
5階建ての天守閣ですよ、、
しかも
屋根は瓦じゃなくて
当時は、銅版、、
復元が始まった頃は
鉄筋コンクリートがさも良いとされ
木造なんてと、思っていた
役人の自業自得。。
☆
伊勢は津でも津は伊勢でもつ
尾張名古屋は城でもつ
という俗謡があり
大天守の金の鯱をはがした
怪盗、柿野金助の伝説、、
古くからここは、那古野といい
大永のはじめ、今川氏親が築き
末子、氏豊をおき
一名柳の丸という、那古野城があった
織田信長が生まれ育ったのも
この那古野城内
信長の父、信秀はかねてから
那古野城の奪取をねらっていて
連歌に事寄せて、氏豊と仲良くなり
少数の部下だけ連れ、那古野城に赴いたが
滞在数日に及んだある日
城外に火事が発生
城内の人々の気がそちらへ集中した隙を
見計らって氏豊を捕虜
首尾よく那古野城を乗っ取りましたとさ、、
しかし、弘治元年(1555)信長が
主家の清須織田氏を追って、清須(州)城に入ると
那古野城は見捨てられ
このあと、津田信光⇒林通勝が城主となりますが
それ以後は廃城
いつしか草木が生い茂る深山と化していきました
写真を見ましたが、鬱蒼と生い茂っていますよ。。
織田家は火が好きだなぁと
火にまつわることが、、
そして、徳川の時代がくるのですが
徳川が天下に覇をとなえるまでの間
那古野一帯は久しく忘れられていました
尾張が東海道随一の要衝として栄えるのは
慶長15年(1610)に着工した
名古屋新城が4年後に完成してから以後のこと
名古屋城とともに、栄えたのでね
確かに、市民が名古屋城を、、
と言うのも解るけどね
この当時どうして、名古屋城築造の話が出たのか
それは、家康が晩年に得た(57歳時)
九男、義直に対する愛情の表れ
また、関が原の戦いで東軍が勝利後
清州城にを家康の四男、松平忠吉が本拠地に
していたが
尾張藩、60万石の太守の本城としては
清州城は、貧弱すぎたからだと
はたまた、豊臣秀頼の成長ぶりを聞くにつけ
大阪の豊臣方に対する警戒心も募ったとか、、
なので名古屋城の縄張りは
すこぶるスケールが大きく、労務者は
20万人に達したらしい。。
これって、公共事業だよね、、
今、それだけの人員とお金があるのか
それも疑問だけど、、、
意外に私、やってみても
おもしろいと、ちょっと思っています
名古屋市民、大変だけど
県と協力した方がいいかもね、、
消防法、建築基準法、、
もろもろクリアになれば、、、
明治になると、鯱
オーストリアのウィーン博覧会へ行ったり
明治26年には、本丸など一帯が
宮内省の所管となり、名古屋離宮となり
とまだまだ歴史がありますが、、
とりあえず、今進めている
名古屋城本丸御殿の復元事業は継続
2017年に完成予定。
木造なら、見に行くけどね、、
あの趣味の悪そうな派手さが何か、名古屋を物語っていてね
おもしろぃ
2 件のコメント:
名古屋市長 いいんじゃない。
私は、TVでしか知りませんが、好感度有りです。
法律も特例付けまくって、ぜひ木造でやってください。
出来たら見に行きますよ(笑)
ご無沙汰してます!お元気ですか?
新名古屋城が出来たら、市長
褒めまくりでしょぅ
ライトアップされたその時には、ビールで乾杯ですね^^
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