すっかり、はまっているのですが、、、
内容は、世界で活躍している日本人を紹介しています
意外に、感動が多くて、、、
異国で頑張っている姿には、脱帽なのです
先週、スペシャルが放送されて、、、
オランダが出てましたね
結構、支那、チョン系でめちゃくちゃにされている言うけれど
風車小屋辺りを見ると、そうでもないですね、、
まぁ、いい所しか映してないですが、、
風車守の妻なんて、かなり
羨ましいです
毎日風を感じ、読むんですょ
出島開港以来の付き合いだから
歴史は長く、、
シーボルトが樺太の地図を盗んだ事件
あの地図はとても貴重で、オランダで大事に保管されていて
さらにびっくり、、嬉しいですね
行ったら見たいと思いましたよ
スペインでは、仙台藩の侍
支倉常長の話
1614年に伊達政宗の命により
慶長遺欧使節団として、ローマ教皇に接見する為
船旅、4年、総勢180人で
メキシコ経由でコリア・デル・リオ村に滞在したと言う、、
その後、何人か残りキリシタンの
洗礼を受け、ハポン=Japon に改名
その侍の記録まで残っていた、、
子孫は繁栄され、この村ではハポンが多く
日本と同じ水田を利用した稲作が伝わったと言う
1992年、この地に来た侍たちを評し
仙台市から支倉常長の銅像が贈られましたとさ
スペインのおじぃちゃんが
「誇り高き日本の祖先を持っていることが
ワシらの自慢じゃょ」
って、嬉しいじゃない
さらに、別な人も
「日本の侍達がこの地を好んで骨を埋めてくれたように
私たちも日本を親しみ深い国だと感じています」
そんなによぃしょしなくても~~~♪
ですが
キリシタンか、、だけど
くしくもその後の日本は、キリシタン排除へ
歴史は、変わってしまったけどね
こういう話を雑学で、教科書に載せて欲しいのにね
そして、16世紀ルネサンス期のパイプオルガン
天使の歌声を復元した
故辻宏氏、すごいよね
このオルガンの他に
サンフィリッピ教会のトロンチオルガン
サンタマリア・デレ・グラツァ教会のオルガンを修行の一貫で
修復、技術、評価を得ていた
そして1974年に「天使の歌声」と出会い、、
ですが別名「鳴らないオルガン」と言われ
200年以上前から正常な音が出なかった
直したいと思ったけれど
スペイン人の中には、そんなふらっと立ち寄った
日本人に国の遺産を触らせたくないと言う意見も
あったとか、、そりゃぁそうだよね、、
なので辻氏は、「直したい」と口にするまで
5年以上かかった、、そしてサラマンカに通い続けて
14年。1988年にスペインから正式な返答があり
辻宏に大聖堂のオルガン修復を依託する文面、、
辻氏の想いを受け止めていた、ビクトリアーノ神父
神父様が、何年にも渡る辻さんのひたむきな姿に心を
打たれ、この人ならオルガン修復を任せられると
思ったのでしょう
だけど、問題が発生
修復費用を負担する余裕がない、、
ざっと見積もって費用は3000万円以上
そこで動いたのが、元スペイン大使林屋永吉氏「オルガン修復協力の会」を結成、呼びかけに集まった
寄付金、1年で3500万になり
1989年8月、スペイン国民が見守る中、やっと修復作業へ、、
最初の作業は、ほとんど掃除
埃、100キロ超え、、、歴史を感じさせます
専用掃除機、3台はすぐに故障、、
1032本のパイプを修復、元の位置に戻してさらに調合
完全復元にこだわり、新しい釘穴を開けることもしなかったと言う
そうでなければ、400年前の音は蘇らない、、
すごい心意気です
そんな真摯な姿は、スペイン全土にTV中継され
作業開始から8ヵ月後、1990年3月25日「天使の歌声」奉献式が行われました
TVから通した音ですが、、感動しました
聖堂の中にあるパイプオルガンと言うのは
その響きを全体にいき渡らせる為
聖堂をわざわざパイプオルガンの為に設計をしているので
さらに、400年前のものなんで
本場で、聞きたいですね
そして辻氏のオルガン修復の記念に
故郷の岐阜県にサラマンカホールを建て
そこには、「天使の歌声」のレプリカが、、、
レプリカ、、、 、、、
辻氏が、生涯で82台のオルガンを製作
2005年12月、享年72歳で永眠
その後がまたすごい
2006年6月、サラマンカ大聖堂で
外国人では初となる、追悼ミサが行われました
そして、トルコ
親日とは聞いていたけれど
あんなに親日だったとは、、トルコ
もっと勉強しなきゃですね
トルコの消防署に、トルコ国旗と日の丸が
一緒に掲げてあって、、、
中に入ると、消防士が日本人を見て
全員起立!
ですょ、、
なんとこの消防署が建ったのは、日本のおかげだと言う
さらに、トルコと日本が友達になって120年
な、長い、、
小学校の授業で、平気で
トルコと友好関係を築いた人の話をするなんて、、
日本の教科書にはないですよ、、
その辺り、やっぱり日教組!!
って感じで、、
日本も載せるべきだよね、そういう話は、、、
だから、異国に行って質問されても
日本人は答えられなくて、、、
日教組の思う壺です
と
その人物は、山田寅次郎
また長くなりますが、、お付き合い下さいね
1866年幕末生まれ、茶道の名門山田家の養子になるけれど
悶々と日々を暮らしていた
そこへ1890年、トルコからの親善使節団が来訪
山田は、異国の地への憧れが募っていった
だけど、使節団650人を乗せ帰路へ向かう船が
和歌山県串本町大島で台風に合い
座礁、沈没してしまいました
地元の懸命な救助活動も虚しく、生存者69人
「この俺に何か出来る事はないだろうか」と山田
トルコ使節団遺族への寄付金集めをしました
全国を周り、演説。東京朝日新聞社への掲載
総額2700万円が集まり、そのお金を持って
1892年、トルコへ渡りました
そして遺族の方に使ってくれと渡したところ
時の皇帝、オスマン帝国皇帝、アブデュルハミト2世に
感謝されました
その後、皇帝に引き止められ
士官学校で日本語や日本について教えました
1923年、トルコ共和国が建国され
建国の父、アタチュルク大統領も、山田の教えを
支えにしたと言う
そして絆は深まり
1985年3月17日、イランイラク戦争が始まり
当時の大統領フセインが「今から48時間後以降、イラン上空を飛ぶ
飛行機は全て打ち落とす」と事実上の無差別攻撃宣言
イランにいる邦人はびっくり
早く帰国しないとならなかった時、日本政府は
何も出来ませんでした(映像は、中曽根だったね、、、)
法律上、自衛隊機を派遣も出来なかった
そんな日本が困っている時に動いたのが
トルコ政府でした。当時の首相オザールが
日本人の為に救出作戦を命じ、飛行機をテヘランまで
出し、タイムリミットまで1時間20分
日本人215名が脱出に成功
凄い話です。これが山田寅次郎から始まっていたなんて。。
これは、覚えてますょ。。当時、緊迫していたから、、
そして1999年8月17日、トルコ北西部
M7.4の大地震発生
これも大きくて、大変だった
死者約2万人、負傷者約4万人
当時、被害が凄かったヤロワ市
市長、ヤクップ・コジャル氏
「すぐに駆けつけてくれた日本の人々のことは
忘れられません」
そう、、早かったよね、、
その地震で、消防署が全壊
姉妹都市である富山県砺波市からの救援金により
消防署を建て直したので、その消防署には
トルコ国旗と日の丸が、、、
さらにあの沈没した船、エルトゥールル号
日本とトルコ共同の引上げプロジェクトが進行中だそうで
引き上げられたものの中には、友好の証の品々が、、
菊の御紋があったね、、お皿、、
プロジェクトリーダー、トゥファン・トゥランル氏曰く
「私は、これまで多くの戦艦を引き上げてきました
その大半が争いや憎しみの為に沈んだ船でした
でもエルトゥールル号は違う
友情の末に沈んでしまった船なのです
今後さらにその友情が深まればと思います」
そう思います。
ディスカバリーでやっている沈没船引き上げは
戦争時のものが多いからね
海に潜る作業は大変だから、この船はやりがいが
あるのでしょうね
あぁ、これで和歌山のイルカ騒ぎと納得、、
あんなに急に外国人が来るわけないんだよね
邪魔されてなきゃいいけれど、、
復元して博物館に飾って欲しい
トルコと言えば、やっぱり
「飛んでイスタンブール」
頭の中で流れてしまいますね
なんか番組を見ていると
日本人には、すぐに話しかけてくれる
外国人が、なんか安心感を与えてくれますね
だから、支那人やチョン人が日本人と名乗るのも
納得です
それもこれも、過去の日本人たちの
ある意味偉業ですよね、、
感謝ッ♪
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