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11.3.14

震災3年




まだ3年、もう3年

震災関連死もあるので
お体は大切に



TVで見ました
国家試験もその年で1発合格
凄い
気がすめばとか
そういう言葉でも片付けられないのでしょうね
突き動かすものは、、、
震災関連死は阪神の時よりも多く
http://jp.reuters.com/article/kyodoNationalNews/idJP2014031001002354
3048人
仮設住宅などで暮らす人や生き残った人たちの震災後のストレスが原因で
現在でも亡くなっています
阪神の時は、326人だったような
3年で片付けるとか、片付かないとか
時間は関係ないように思えます
復興庁が重い腰を上げているけれど、まだまだ時間もお金も
今後もかかりそうです
ヒストリーで震災関連の番組を見ていて
原発の当時の映像もやっていました
線量計も津波で流され、社員に線量計を渡そうにも渡せない状況
その中で、報告は怠らずよくやっていたなぁと
改めて思いました
今、東京で線量も少なくなりソウルより元々少ないのに
チョンは来ないで欲しいのに
多く報道していたマスコミチョンは相変わらずの酷さ
ロンドンやフランスの方が高いのにね
日本の脱原発を掲げている人はやっぱり変な人たちが多いいと改めて思ったり、、、
敵は相変わらず国内にありです
もうじき、発生時刻なので
黙祷です
【3月11日 AFP】東北の3月の海はまだ凍えるように冷たい。木造のボートに
乗りこんだ高松康雄(Yasuo Takamatsu)さん(57)は、うねる波に揺られながらドライスーツを着こみ、スキューバダイビングのタンクをかついだ。
今日も、冬の暗くよどんだ太平洋に潜る。津波にさらわれた妻を捜すために。
「おだやかな感じの人だった」と、高松さんは震災当時47歳だった妻、祐子
(Yuko Takamatsu)さんのことを振り返る。「私にとっては本当にいつも
隣にいてくれるような、もちろん物理的にも精神的にも、いつも隣にいてくれるようなそんな人だった。この存在は大きいし、失ったということも大きい」
高松さんは宮城県女川町でバスの運転手として働く。スキューバ
ダイビングは趣味としてもやったことがなく、ダイバーとしての素質が
あったともいえない。潜れるようになる日がくるか心配だった。それでも海へ入らずにはいられなかった。妻の最後の言葉が忘れられないからだ。
2011年3月11日、午後3時21分。大地震が東日本を揺さぶってから
約30分後、巨大な津波がものすごいスピードで女川町の沿岸に迫ってきていたとき、銀行員だった祐子さんから高松さんの携帯電話にメールが入った──「帰りたい」。
「震災のときの最後のメールがそういうのもあって。今のままではかわいそう。早く家に帰してあげたい」
■ 『津波凄い』
数週間後、祐子さんの同僚が携帯を見つけ、高松さんに届けてくれた。
高松さんはそれを乾かし、あの日に受け取ることができなかったメールを読んだ。
津波がまさに銀行の屋上に迫っていたときに書かれたメッセージだ。
「本当に短く、『津波凄(すご)い』とだけだった」
大津波は一瞬にして東北の沿岸部を破壊し、家々や車、多数の人々をのみこんでいった。
東日本大震災の死者は、公式発表で日本では戦後最大の1万5800人以上。今も2636人が行方不明者になっている。
今となっては、行方不明者が生きて帰ってくるとは誰も思っていない。だが遺族にとっては彼らの遺体を見つけ出し、安らかに眠らせてあげることが切なる願いだ。
小さな漁業の町の女川だけでも800人以上が亡くなり、行方不明者は祐子さんを含め250人を数える。
■「ひざから崩れ落ちるような感じ」
マグニチュード9.0の地震が襲った直後、町の銀行で働いていた祐子さんと
同僚たちは屋上へ避難した。迫りくる津波に備えたのだ。祐子さんはこの屋上から夫に最後のメールを送った。
「ちょうど(津波が)女川の岸壁を越え始めたときだった。そこから数分のうちに屋上まで達したと思う」と、高松さんは言う。
「銀行の職場の人たちと一緒だからまあ心配ないんだろうなとは思っていた。連絡とれないのはちょっと気になっていたが」
津波がきたとき、高松さんは義母と一緒に隣町の病院にいた。すぐに
女川に戻ることは許されなかった。漁船や車がひっくり返り、水面に浮くガソリンが燃え盛る壊滅した町に立ち入ることはできなかった。
翌日、立ち入り禁止が解除されると、高松さんは女川の高台にある
病院に急いだ。地震の際の避難場所に指定されていた場所だ。
高松さんはそこで、銀行で働いていた人たちも津波にのまれたと聞かされた。「ひざから崩れ落ちるような、力が入らなくなるような感じだった」
■「長く続けるしかない」
震災から3年。行方不明者の捜索は今も続いている。警察や海上警備隊、ボランティアの人たちが川の河口付近や海底を探し、遺体を収容することもある。
そんなボランティアのダイバーたちを率いるのが、高松さんにスキューバ
ダイビングを教えた高橋正祥(Masayoshi Takahashi)さんだ。高橋さんは高松さんたちが安全に潜れるよう注意も払う。
高橋さんは、趣味の潜水と違って水中の捜索は、まだ透明度が悪いところや
がれきがあるため、水中で身動きが取れなくなる危険もあると指摘し、そこに気をつけながら周囲を見る余裕も必要だと言う。「全体を見られないと見つけられるものも見つけられない」
高松さんは、妻を見つけられる可能性は低いことを分かっている。それでも捜さずにはいられないのだ。
「私のなかでは本当にまだ震災当時のまま。気持ち的にはほとんど
進んでいないような」と、高松さんは語る。「見つけたいなとは思うが、やっぱり見つからないかなという気持ちもあって…。(海は)ちょっと広くてね」
「見つかるまでというか、見つからないかもしれないし。それは長く続けるしかない」
(c)AFP/Harumi OZAWA

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