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18.5.10

津久井城跡

遺跡発掘の見学会があり、行って来ました

築城期は、山頂にある
筑井古城記碑があるように、筑井義胤が宝が峰に
築城、昔は筑井城と書いてあったり

三浦郡誌には津久井為行が、鎌倉時代に築城したことが
記されています
なので、鎌倉時代と思われています

ですが、発掘調査をしている限りでは、鎌倉時代に遡るまでの
資料は見つからず、縄張りや戦国時代の様相を
示していることから、16世紀に内藤氏を城主とする
津久井城が、山城として機能していたとされています

三浦一族が、ここに出入りしていた事は有名だし
三浦の津久井をこの城の名につけている事は明白、、、
何せ、津久井ダムが出来る前には、村も潰しているし
発掘をしなければならない範囲は、とても広大
なのでまだまだ発掘する箇所はあるので
断定は出来ないですが、、、
三浦郡誌の津久井為行説を信じているわけなのです
主催は、もち
かながわ考古学財団
今年から、発掘の際に中世城郭の歩き方などの
入門考古学講座が開かれるようになり
第1回目らしい
まさか、城とは、、、から始まるとは思わなかったけれど
話はおもしろかった
特に、武田勢に、つぶて隊がいて、、、
そう、武田は有名な騎馬隊なのですが
矢の数も馬の数も決まっていているのに
何故、勝てたか
その騎馬隊の前に、つぶて隊
石を投げる隊がいて、つぶて隊が石を相手の陣地に
投げて、相手がひるんでいる間に、騎馬隊が攻める
そんなつぶて隊を想像すると、今も昔も変わらないんだなぁと
思う、、
だって嫌な奴がいて、怒りにまかせると、石や砂、、投げません?
と言うか、投げたくなりません?
石は、1番身近にある武器になります
矢より、効果があり、昔は活用されていました
第3次世界大戦が始まって、核が使われた後の大地には
石しかなく、それが今度の大戦の武器になります
とそれましたが、、^^;
津久井城は、根古屋式山城になります
山城は、別に山の頂上に城主がいたわけではなく
根古屋と言われる生活場所に、城主の館や家臣たちを置きました
攻められる時は、城主たちは頂上へ
その間に、いくつものトラップ
郭(曲)輪を作り、頂上へ行かせない様にします
郭輪にはいろんな形があるので、それらを確認しながら
頂上へ向かって登るのも、山城を歩く醍醐味になります
まぁ、たいていわかりにくいですけどね^^;
説明を聞いた後、発掘場所へ登るわけですが
ここを鎧を着て、登ったと思うと想像が膨らみます
そうそう
小田原城の北条氏直が、馬廻衆の山門紀伊守定勝に
対して、津久井城に出陣する際に出された古文書があり、
その中で、鎧を着けて登るのも大変な山城に
馬で登るのは、さらに大変、、、
そして馬で来られると、その馬の面倒を見なければいけない
人が必要になるのもあり、、、
なので、乗懸
今で言う、タクシー(輸送にかかわる業者の馬)で
小田原から来るように、お達しを出していた
当時、羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康は敵対していて
北条は徳川家に味方していたので
津久井城を守る事は、徳川家への後方支援のようなもの
1590年に落城しますが、津久井一帯は徳川のものに
なりました
いやはや、北条氏は凄いなぁと改めて思うのですが、、、
そうそう、今
根岸で、馬の博物館で、戦国の城と馬が展示してます
http://www.bajibunka.jrao.ne.jp/U/U03-1.html
昔からある競馬場でも有名だものね
これは見に行かないと、、、
騎馬武者。徒歩武者模型の写真を見る限りだと
時代劇って脚色しているのが多いなと思うわけで、、、
津久井城山公園パークセンター内では
劇もやっていて、、、
見れば良かったとちょっと後悔、、
ハイキングをするにはいい季節です
小学館の関東の城を見てましたが
津久井城跡の詳しい説明はないので
主人に聞いたら、確実な歴史でないと載らないらしい、、
なるほどね
発掘調査もどのくらいわかるのかとても気になります

お、お、オスプレイ

 Environment:2016年12月20日 16時12分の記事  やっとこの記事に、、、 あ、アスカが不起訴だってね お茶入れたということと言い、最新アルバムお待ちしてます って文面や行動がそもそもおかしい あ、お茶入れたのは警察に対しての嫌がらせかね。本当だったら それか...