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12.4.11
インド 11
お疲れ様なのです
2011.4.10 22:54 (1/2ページ)
【ニューデリー=田北真樹子】東日本大震災の被災地
宮城県女川町で先月下旬から約10日間、救援活動を展開し
��日に帰国したインド国家災害対策局対応部隊(NDRF)の
アロック・アスワティ隊長(41)が9日、産経新聞のインタビューに
応じた。アスワティ氏は「被災者の情報だけを頼りに、行方不明者を
捜索することは極めて難しい作業だった」と振り返る一方、それでも
困難な活動をやり通せたのは「(被災者たちが)隊員に対し
外国人としてでなく、地元社会の一員として接してくれたおかげだ」と話した。
NDRFにとっては今回が初の海外での活動。「ツナミにすべてが
流された状態だった。あれほど悲惨な風景は見たこともなく
想像をはるかに超えていた」。救助隊員歴17年のアスワティ氏さえ
女川町の様子に言葉を失ったという。
電気も水もない。寒さは厳しく雨にも降られた。がれき撤去や
行方不明者の捜索はすべて手作業だった。
「あるのは住民の証言だけ。それをもとに、津波が襲ってきた後
そして、引いた後を想定して場所を特定し作業した」とアスワティ氏。
行方不明者を捜す住民にとっても、少しでも情報がほしい
インド隊にとっても、お互いがなくてはならない存在となっていく。
ある家屋は、津波によって乗用車が屋上に乗りあげていた。
不安定な状態だったが、支柱で固定し「危険で難しい作業」
��アスワティ氏)を開始。そして悪戦苦闘の末、乗用車から
男性の遺体を発見した。「お父さんです。お母さんも一緒にいたはず…」
との家族の証言をもとに再び捜索し、母親の遺体も見つけることができた。
根気はいるが、手作業がかえってよかった。遺体を傷付けることが
なかったからだ。遺体発見後は必ず2分間の黙祷をささげた。
全日程を通して7遺体を収容。がれきや泥に埋もれたお金や貴金属
家族写真なども発見し回収した。
最終日の6日、活動を終えると、女川町の被災者たちから1冊の
ノートをプレゼントされた。英語と日本語で感謝の言葉がつづられていた。
「やりがいを感じた瞬間でした」と顔をほころばせるアスワティ氏。
自分たちが確かに、町の一員だった証しのように感じられた。
「女川は以前よりもさらに美しい町になると信じている。
数年後に女川に行って、その復興ぶりをこの目で見るつもりです」
1ヶ月もの作業、ありがとうございました
インドへ帰ったら、ゆっくり休んで下さい
ヨウ素剤の摂取も忘れずに、、、
あと、グリーンピースにはご注意を
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お、お、オスプレイ
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